2016年 いいかも通信

目黒区議会女性議員比率は東京23区でトップの41.6%

 昨年4月の統一地方選挙で、東京都内の市区町村女性議員は369人が当選し、全当選者の27%を占め、全国の14.8%と比較し都内は高く、目黒区議会は女性15人(内新人6名)が当選し41.6%を占め女性の活躍の場が広がりました。

 各国の社会進出における男女格差を指数化したジェンダー・ギャップ指数で日本の順位は142か国中104位と低く、特に政治・経済活動の分野では、女性が個性や能力を十分発揮して活躍できる環境が整っていない状況です。

 この指数は国会議員が対象で日本の国政は女性比率が進んでいませんが、市区町村議員は私が初当選した14年前と比較し倍以上の躍進をしました。


無所属で5期目当選しました!

 目黒区議会議員1期〜4期までは民主党に所属していましたが、都議会議員選挙に出馬を機に離党しました。「これまでのキャリアを再度、目黒区議として生かすべき」と多くの励ましのもと『目黒の力を高める』と無所属で出馬し、前回4年前よりも順位も得票も好成績で5期目を当選しました。選挙は若いスタッフが戦力となり、女性から熱いエールをこれまで以上に頂きました。

 そして、私は7回の選挙経験を経て、次世代の女性が輝ける社会と政治の場の土台作りが使命であるとの思いを強めました。


平成27年4月26日目黒区議会議員選挙結果

 定数36人に対し49人が立候補。初当選10名の内、6人が女性でした。目黒区議会は7期目2名、6期目2名、そして鴨志田と同期の5期は3名です。この十数年の選挙で6割近い議員の新旧交代があり、選挙の厳しさを感じています。

 投票率は39.35%と0.39ptアップしましたが、住民に最も身近な議会への関心が低いことから、広報紙の発行とSNSで情報発信しています。


目黒区議会報告

 これまでは民主党系会派に所属していましたが、政党を離れた事と会派に所属せずに自由な立場での発言・活動に重きを置こうと無会派を選択しました。今年度は文教・子ども委員会に所属し、学力の向上や東山小学校の改築、子育て支援や待機児童対策に力を入れています。


平成27年9月 決算委員会

『「目黒区はいまだに赤字か」の質問がある。誤解を払しょくし財政危機に対する説明責任を「まちづくり懇談会」等の場で果たせ。』

【区長】発信が十分でなかったことを反省し、様々な場で説明していく。

『代々の目黒区長は貯金よりも区民サービスを重視したため、貯金の少ない本区は財政難に陥った。コスト削減と景気回復で財政は改善したが、「財政の目黒ショック」を検証し財政健全化に取組め。』

【区長】貯金はその時々の区長の判断である。貯金を積むルール化をした。

『多数の課で繰り返えされる事務処理の誤りを改善せよ。』

【区長】改めて注意喚起する。

『地方分権に逆行し東京都と23区の上下関係は進展がない。』

【区長】こう着状態を打開したい。

『サービス付き高齢者向け住宅の事業者の応募はゼロだった。』

【区長】1戸あたり50万円、上限2千万円を補助するが、目黒区の地価が高いことが要因。


平成27年11月 一般質問

女性活躍支援法に実効性を

『小泉政権時に決定した「2020年までに指導的地位に占める女性割合を30%」は遅々として進まない中、安倍首相は成長戦略の柱に「女性活躍」を掲げ、28年4月から女性活躍支援法が施行する。目黒区は23区で最初に「男女平等条例」を制定し、女性議員比率は23区で一番となった。目黒区職員の女性割合55%に対し、女性管理職比率は12%前後と低い状況が続いている。法制化しなければ女性の活躍が進まない日本と言えるが、目黒区として実効性のある対応を問う。』

【区長】さまざまな分野において女性視点による発想や対応がより求められている。政策の企画・立案及びその意思決定過程において、女性リーダーの一層の参画を促し、男女問わず全ての職員の能力を最大限生かすことができる職場を目指す。

現政府は2020年までに女性比率を中央省庁の管理職で7%に、都道府県や民間企業の課長相当職では15%に数値目標を下方修正しました。目黒区は女性管理職比率を20年までに20%の数値目標を初めて設定。環境整備と女性が果敢に挑戦してこそ達成が可能になります。

東京音楽大学と連携した街づくり

『代官山に接するJR宿舎跡地を目黒区と東京都が取得後、20年間活用されず区は40億円を超える税金を費やした。また、活用案に対し地元の懇談・協議会は地域特性が生かされていないと意見の一致が得られない中、区は財政難から売却に方向転換し、公募により東京音楽大学の新キャンパス計画に決定した。区民の貴重な財産であるJR跡地20年間の経緯と意思決定のあり方を検証し、今後の区有地の活用に活かされたい。そして、音大と連携し中目黒を文化の街として発展させる取り組みを問う。』

【区長】音大のコンセプト「中目黒と代官山を結ぶ美しいまちづくり」と区の整備計画「地域の個性を活かした文化の創出ができるまち中目黒」を調整・連携を図りながら街づくりを進めていく。

区有地の活用案が次々と決定しました。()内の数字は開設の平成年

*六中跡地に認可保育所(29年)と特養老人ホーム(31年)。

*四中跡地に認可保育所(29年)と特養老人ホーム(32年)、障害者グループホーム(29年)、障害者施設(32年)。

*上目黒小学校に学校内では初の認可保育園(29年)

*目黒区総合庁舎駐車場に認可保育所(29年)


平成28年2月 一般質問

発達障害支援拠点に丁寧な説明を

『東山小学校の改築に伴い、移設・合築する東山住区センター内に発達障害支援拠点を整備する案は昨年末の区内部の政策決定会議で成され、年明けの1月15日に説明会を開催した。地元とPTAから変更は突然すぎる等、より具体的な説明を求める声が多数上がった。「区の案が変更可能な段階で区民の意見・要望を聴く仕組みを充実する」方針が今回十分に活かされなかった。障害者差別解消法が成立し、さらに丁寧な説明を行い理解を深めることが肝要である。また、障害福祉と教育の連携をいかに図っていくかを問う。』

【区長】地元には迅速に行う必要があったが、必要な情報を十分に提供することが必要であり今後も説明を尽くしていく。障害福祉と教育の連携は縦と横の協力体制を構築していく。

ふるさと納税で3億円の減収!

『目黒区はふるさと納税で3〜4億円の減収となる。返礼品で競うのでなく政策や地域愛で寄付を募り寄付メニューを増やす等の工夫をし、寄付を募るサイトを充実せよ。』

【区長】ワンストップふるさと納税で寄付がたやすくなり今年度は3億〜4億円の減収が見込まれる。先ずは目黒区を好きになって頂き、政策に訴え、寄付のメニューを増やしていきたい。




50回目を迎えた中目黒夏まつり。


目黒さんま祭り20周年


駒場バラ会と着物


六中跡地 スマイルプラザ


65周年 銀杏祭(母校・慶應女子高)


慶應女子高35期会


新年のつどい着物

文教・子ども委員会で区立小中学校を視察し、学校長や教育委員会の方々と給食を試食しました。


母校・東山小学校の改築工事は平成30年に完成予定。建築費の高騰で入札は2度の不調になり60億円規模の大事業です。敷地内に東山住区センターを併設します。


少年の犯罪は年間90万人。その内、重犯罪対象の八街少年院を目黒区更生保護女性会で視察。社会が愛情を注ぐことが必要です。


私もかつて参加した目黒区立中学校連合体育大会@駒沢オリンピック陸上競技場

鴨志田リエ オフィシャルブログ「勇気りんりん鴨志田リエ」
   
ー 略歴 ー
1971年目黒区立東山小学校卒業1974年目黒区立東山中学校卒業
1977年慶應義塾女子高校卒業1981年慶應義塾大学文学部仏文科卒業、美容師国家免許取得
1982年(財)日本さくらの会 第9代日本さくらの女王1985年ネイル&まつげパーマサロン「フレンチライン」主宰
1988年シカゴ日米協会にて日本画の講演会企画・運営1989年ワシントン・スミソニアンにて日本画の講演会企画・運営
1991年ニューヨーク日米婦人会にて日本画の講演会企画・運営
1995年銀座柳画廊顧問
1997年?ミケランジェロ勤務 海外挙式マーケティングマネージャー
2002年(10月) 目黒区議会議員補欠選挙にて初当選
2003年(4月) 目黒区議会議員2期目当選(目黒区監査委員)
2007年(4月) 目黒区議会議員3期目当選(目黒区議会副議長、目黒区監査委員)
2011年(4月) 目黒区議会議員4期目当選(刷新めぐろ幹事長、目黒区監査委員)
2013年(6月) 東京都議会選挙に「女子の出番」出馬し惜敗
2013年(10月) アデッソデザイン合同会社代表
2014年(9月) 2回とも無投票当選だった北海道根室市に民主的選挙をと根室市長選挙へ出馬。短期間ながら35%の得票を頂く。
2015年(4月) 目黒区議会議員5期目当選
ー 所属団体 ー
祐天寺あいネット理事、目黒三田会副会長、目黒法人会会員、目黒青色申告会会員 目黒ユネスコ会員、不動産三田会研修部会長
2015年春 私の決意


目黒区に生まれ育ち、美容・美術・ウエディングの仕事を経て目黒区議会議員を4期・11年間務めました。この間、副議長、目黒区監査委員4年、幹事長、各委員長等を歴任し、地域に根差した政策を積極的に行い、議会のチェック機関を高めてきました。

2006年に発足した安倍第1次内閣から、自民党は3人の総理が、民主党も3人の総理が1年ごとに変わりました。日本のトップがコロコロ変わろうと、日本は安心安全で街は清潔に保たれ、教育レベルが高い。これは、目黒区をはじめ地方政府がしっかり機能している故と考え活動してきました。

区政の仕事はおのずと国政とは異なります。東京23区は財政力や人口がそれぞれに違いがあり、目黒区も地域地域で、それぞれ特色があります。子育ても高齢者や障碍者の福祉も現場は地域の中にあり、全国一律で考える国会や、東京都一律で考える都政と地域の現実は違います。

こういった地域性をどう生かしてゆくか、多様な住民ニーズにどう応えていくかが「住民に最も身近な政府と議会」の役割です。

目黒区は交通に便利な良好な住宅地として「住みたい・住み続けたい」が95%にのぼります。"目黒区は教育レベルが高く、子育て・高齢者・障碍者福祉等の公共施設は揃っているが、これという特色が無い"という声があります。

少子高齢化社会を見据え、人と人がつながる暮らしやすい地域に、そして、訪れたいみたい・住んでみたい目黒にするためにはどうすべきか、目黒人として徹底的に見つめ直し、目黒モデルを実現したいと考えています。

「女子の出番!」東京都議会議員選挙に出馬

挑戦なくして成長なし!! 
政治家として人間として大変貴重な経験をしました。

日本は先進国の中で、女性議員は最も少なく、国連の女性差別撤廃委員会は日本の女性の社会進出を促すよう、指導的立場の女性を2020年までに30%に引き上げることを勧告しました。10年前のこの勧告に対し日本政府は男女共同参画局を設置しましたが、現在も遅々として進んでいません。安倍総理が「女性の活用・女性が輝く日本」と声高に訴えていますが、女性自らが過酷に挑戦し、女性が政治や公の場に参画しなければ、本当の意味で女性の地位が向上しません。

目黒区議会は、この20年近く女性議員比率30%を維持し、教育や福祉、男女平等が活発に議論され政策に生かされています。

そして、目黒区が地域特性を活かした政策を打ち出す時、東京都の権限と財源が壁になります。

石原慎太郎前都知事は国から都へ権限と財源を移譲する地方分権を訴え、分権による都独自の政策が日本に必要と強く主張していましたが、逆に都は23区に権限と財源を譲ろうとしない矛盾政治は知事が変わった今も続いています。

私は都から23区が分権し、目黒区はじめ、各々の地域特性を活かした政策を実現したい。そして女性の活躍を広げたいと活動してきました。

日本でもっとも巨大な地方政府・東京都をチェックする東京都議会の女性議員比率は19%、その内、自民党は5%と安倍総理の意と反し低い状況です。都民の目黒区の人口の半数以上を占める女性の視点や意見を巨大都政に、そして、都から23区の分権を進めようと2013年6月の都議会議員選挙に出馬しました。

無謀だ、との声も十分承知でしたが、過去2回の都議選で出馬の手を挙げつつも断念した経緯と、「都議に」という亡き母の願いと父の賛成を得て、挑戦しないことで悔いは残したくない。

 当初、無所属の予定でしたが、憲政史上初めて女性が作った政党「みどりの風」から強い要請があり、環境や女性政策で一致したことから、みどりの風公認で出馬しました。 区議選と比較し都議選はスケールが大きく、また政党の風にも強く左右されます。

結果は惜敗でしたが、負けから多くの事を学びました。自分の決断ですから後悔はなく、「挑戦なくして成長なし」と前向きに活動しています。

 この落選のお疲れ様会は5ヶ月間続きました。温かい支援者の方々に心よりの感謝を申し上げます。

根室市の民主主義を求めた市長選挙

都議選後、友人と会社を設立し、仕事とボランティア活動等で政治的には全くの空白でした。

目黒区に長く居住し、私が所属する慶應義塾議員連盟の会長で根室市議会議員7期務める壷田氏から、根室市長選挙に出馬要請があったのは昨年5月。

根室市長は代々役人出身で、現市長は過去2回とも無投票当選(立候補が他にいなかった)。来る9月の市長選も現市長以外に手を挙げる者が無く、5つの政党が支持を表明し3期目も無投票当選が確実視されていました。しかし、現市長の8年間で経済もまちも衰退、人口減少・人口流出に歯止めがかからない状況の中、危機感を抱いた市民団体が市長候補者に、キャリアのある女性として私に白羽の矢が立ちました。

以前、根室市と北方領土を視察した際「ここにこそ政治が必要」、東京と領土問題最前線の政治の違いを痛感しましたが、根室は遠い地、勿論、お断りました。

再度、強い要請があり、7月に根室を2度訪問しました。根室はサンマの水揚げが日本一と水産資源が豊か、そして、唯一無二の美しい自然がいたる所に溢れ、市民は豊かな暮らしをしていましたが、市民の命を守る医療体制に大きな問題がありました。

市立根室病院は65億円を費やし立派な施設になりましたが、毎年16億円の赤字を出し、医師不足により2時間以上かけて釧路の病院に通い、出産も釧路まで車を走らせ、その途中で事故にあうケースもあり、都会では考えられないほど「命をおざなり」にした政治がまかりと通っていました。

多くの市民から「変えて下さい」「北海道初の女性市長に」と声を頂きました。また、競争選挙が無かったために、市長も市役所も市民の声から遠い存在でした。市政に不満を持ちつつも市政に声を届ける術がなく、「市の衰退はしょうがない」と諦める市民が少なくない事も知りました。

我社の役員と、父の「人に要請され、人に尽くせるならば出馬の意義はある」との賛同を得て、また、私が今すべき事は、この市に候補者が競争する民主的選挙を実施させること、それが使命であると、出馬を決意しました。

私はよそ者と言われましたが、北海道は開拓民の歴史があり、地元の人が市政を衰退させ、この政治を変えることが出来るのは、しがらみの無いよその者です。 現市長の連合艦隊に対し、鴨志田&市民団体の手漕ぎボートの戦いでしたから、想像以上に大変でした。出馬を断念する方が安易でしたが、市民の温かさに触れ、雄大な自然に癒され、決めたことはやり抜こうと大きな決意で9月の市長選に挑みました。



着物は世界に誇れる民族衣装@三井倶楽部


カタール国の建国記念日パーティーで大使と@帝国ホテル


ノサップ岬マラソン大会の開会式


根室駅前


根室市みなと祭りで「さんまロール」を試食しました


北方領土返還要求・根室市民大会へ参加しました
応援しています
 ー プロフィール ー
1959年(昭和34年)3月1日 目黒区生まれ
事務所:〒153-0051 目黒区上目黒3-20-6-A TEL:03-3715-7313 FAX:03−3713−8187

25代 日本さくらの女王選出大会で女王達と

目黒区自由が丘駅前で街頭演説

青木英二目黒区長より議員功労賞を頂きました

ハンマー投げのメダリスト、室伏広治氏と目黒雅叙園で

ペルー大使館のバーティーに着物で出席しました

食文化協会設立記念式典で城島元財務大臣と近藤前文化庁長官と

前中国大使夫人と広尾の中国大使館で

東日本大震災の孤児遺児を支援するチャリティーパーティーで

東日本大震災直後、気仙沼市の復旧ボランティア活動に参加しました。

北京市東城区での国際交流会議に着物で出席しました。
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